大凡のギタリスト、ニシイケタカシによる
三度目の雑記。
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ジョージ/今回は常体で書く

 ジョージ・ハリソンの命日ということで少しばかり勝手な自分語りを。

 初めてジョージを意識して聴いたのは、ラジオの洋楽チャート番組か何かでたまたま耳にした『想いは果てなく〜母なるイングランド』(一九八一年)からシングルカットされた『Teardrops』だった気がする。当時、中学生だったワタシには「わ、何かいい曲やなあ」くらいの印象で、チャートの中の割と好きな曲のひとつでしかなく、ジョージと「ビートルズ」を繋げてくれるようなものではなかった。先行シングルだった『過ぎ去りし日々』がヒットしていた記憶はなぜだか全くない。一九八〇年に暗殺されてしまったジョン・レノンの『ダブルファンタジー』は友達のNくんに借りて聴いてはいた。『(Just Like)Starting Over』は凄く好きな曲だったけれど、これも「ビートルズ」へ興味を特段喚起させてくれるものではなかった。何が見えていて何が見えてなかったのやら。

 それから五年程後に『When We Was Fab』でジョージと邂逅した時には「わあ、すげえビートリーだ!」と一聴して「ビートルズ」と繋がった(気がした)。おそらくその間に体験したのであろうELO、XTC、トッド・ラングレンなどなどの「ビートルズ翻訳」という下地によって得た数多の記号たちで「ビートルズ」を自分なりに読み込めるようになっていたのかと推測する。ジェフ・リンらがビートルズの(悪意無く)エピゴーネン/模倣者だとするなら、ワタシにとっては、ジョージでさえも「ビートルズ」のエピゴーネンだったのかもしれない。そして、それからのワタシは、そのエピゴーネンのひとり足りたいと望み続ける十年間だった。

 ジョージが亡くなってもう十五年。訃報を知ったのは吉祥寺の漫画喫茶。確か自分のライヴ当日の準備か何かしているときで不遜だけれど正直そんなには驚かなかった。今は、あんまり親しかったわけでもないけど、割と近くにいた古い友人のことを思い出すかのような気分だ。合掌。